| ■ パーントゥ |
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平良島尻の伝統行事「パーントゥ」は「お化け」「鬼神」の意味。数百年前に島尻の西海岸に(クバマ)に黒赤の仮面が漂着、これを世持神の来訪として仮面神祭祀が始まったといわれています。泥を塗ることによって、悪霊や災いを払い幸せをもたらすといわれているものです。
1993年、国の重要無形民俗文化財に指定されました。
パーントゥは集落近くの神聖なンマリガー(井戸)でキャーン(シイノキカズラ)を身にまとい、それに臭いのきつい泥をたっぷりかけます。仮面をつけた3匹の鬼神・化け物が集落内を練り歩き、新生児や子供、新築の家、車等に泥を塗り歩くのです。。
薄暗くなるころ四辻で子供たちが今か今かと待ちかまえ、パーントゥが姿を現すと「でたぞー」と悲鳴を上げ、一斉に逃げ出します。
パーントゥに捕まり、顔いっぱいに泥を塗られた子供は「いい子にするから」と泣き叫びながら許しを請います。「これで病気はしない」と笑顔を見せる母親もまた抱き付かれ泥だらけです。住宅にも遠慮なく上がり込み、家人が止めるものも何のその。壁・畳に泥をたっぷり塗り付け、家庭繁盛を祈願します。
交通規制をしていた警察官も容赦されません、パトカーに逃げ込むと車体がターゲットになりました。
警察官は「福を呼ぶ泥ですから」とこの日はお手上げの様子です。
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| ■ トゥクルフン「旧16日祭」 |
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平良の狩俣部落に古くから引き継がれている旧16日祭は、祖先神との正月を祝う行事。数百年も以前に現在の公民館の場所に役人がいて、住民が役人との交際で神酒を交わす習慣が起こりだといわれています。その後部落の公民館で住民の無病息災や子孫繁栄、部落の繁栄を願って歌い踊る伝統行事に発展していったとされます。
「トゥクルフン」は「ところを踏む」の意。足元を踏み固めることで、カリー(福)をつけるとされており、祭では神女たちがみずから足で床を踏む動作を繰り返します。念頭の「お清め」の意味を込めて、旧1月16日祝いのなかで毎年行われています。 |
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| ■ ナッブーイ |
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この祭祀は、粟の豊作祈願を行う行事で、ムトゥ(血族集団)を中心に結成されたファーマー(氏子)と呼ばれる祭祀集団を単位として行うものです。
毎年旧6月の寅の日から巳の日までの4日間行われる行事で、早朝から拝所に集まり夕方まで神歌を歌ったり、神酒を飲んだりしながら祖先に感謝し粟の豊作を祈願します。
3日間ほぼ同じ様式で進行し、4日目に解散します。 |
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| ■ ミャークヅツ |
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毎年、旧暦8〜9月の甲午の日から3日間にわたって4箇所のムトゥ(マジャ、アギマス、マイヌヤー、マイザトゥ)中心に行われる豊年祭です。1日目をアラビ、2日目をナカヌ、3日目をアトゥヌヒといいます。各ムトゥで行われる儀礼は、55歳以上の男性で構成されるムトゥヌウヤたちを中心に、年令階梯的な組織で運営されています。
期間中各ムトゥに所属するムトゥヌウヤたちは、早朝4〜5時頃ムトゥに集まって酒をくみかわし談笑して過ごします。
午後4時頃になると池間・前里の境界にある水浜の広場周辺の所定の場所に座ります。
ツカサンマ(司母)たちによるクイチャーが行われた後、ツカサンマたちを囲んで一般参加のクイチャーが盛大に行われます。
池間島の分村の西原、佐良浜でも行われ、西原は2日目の午後3時からパレードが行われた後、広場にて奉納相撲が行われたあと、盛大にクイチャーを踊り、佐良浜では4日間2箇所のムトゥで行われます。 |
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| ■ ウヤーン |
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平良の狩俣に伝わる「祖神祭」(ウヤガン)は、大城ムトゥを中心に行われます。
祖神たちは旧暦10月〜12月の(虎の日)まで、ジーブバウヤガン・イダシスカン・マトガヤー・アブガガヤー・トデアキウフズと5回にわたりウヤガンの祭事がおこなわれ、神女らが数日間、御嶽の配所で数日間御願を行い、ムトゥに下りてきます。
神女らがこもるニス(北)の山は地元の住民の立ち入りも禁じられ、現人神となるのウヤガンの女性だけが御嶽の座(ざー)にこもり、神のフサ(歌)をうたい続けるといわています。
山を下りたウヤガンたちは神役の女性らに伴われ集落の座と呼ばれる聖地に赴きます。
この行列を見ることを禁じられていて、座についてからはじめて住民の目に触れられることになります。
ウヤガンらは白装束に木の杖、木の葉のカウスで頭を覆ったいでたちで円をつくって座に立ち、ハラグイなどのフサをうたいます。集落に静かなフサの歌べが伝わり、厳かな雰囲気に包まれます。その後、座の屋敷で感謝の祈りを行い、さらに一晩を過ごして祭事を終えます。 |
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| ■ 20日正月 |
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毎年旧暦1月20日に催されている城辺比嘉部落の「20日正月」は、士族と平民が字財産の処分を巡って争い、和解したことを記念して始まったといわれています。
1908(明治41)年に字財産の山林処分を巡って、士族と平民が争い、訴訟事件にまで発展しました。最初の判決は士族が勝訴しましたが、納得しなかった平民は上訴。しかし、4年を経過しても結審する見通しがつかず、双方が話し合いで和解しました。
そこで1913(大正2)年の1月20日を和解記念日として「20日正月」が、部落の繁栄と無病息災、五穀豊穣を祈願し、戦時中の2年間を除く約90年間にわたって祭りが催されています。 |
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| ■ 下北豊年祭 |
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城辺下北部落で、毎年旧暦8月15日(十五夜の日)に行われます。同部落の豊年祭は、10年余りの歴史を持つ伝統行事です。1892(明治25)年に下里村から下里添村に行政分離された際、下里から雄雌の獅子が贈られ、以来毎年豊年祭には獅子舞を奉納する習わしとなっており、獅子舞は町の無形民俗文化財に指定されています。
部落では早朝から拝所を祈願。午後3時頃から下北公民館で部落の役員や町議員らが下里添神社で御願したあと、農産物や畜産など各種の表彰の共進会行われその後、獅子舞や歌、踊りが次々奉納されます。 |
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| ■ 砂川豊年祭 |
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住民の無病息災と.五穀豊穣を祈願。城辺砂川部落に古くから伝わる伝統の豊年祭(十五夜行事)が砂川神社などで行われ、老若男女が訪れて今年一年間の五穀豊穣を祈願します。
同部落では毎年、旧暦8月15日(十五夜)の日に豊年祭を開催。起源は約200年とされ、祭りに登場するクイチャーと獅子舞は町の無形民俗文化財に指定されています。
祭りが始まると公民館に集い、獅子舞やクイチャーを部落の守り神に奉納します。
中庭でマキャードゥー(巻き踊り)を繰り広げたあと、少し離れた砂川神社に場所を移し、再び獅子舞やクイチャー・マキャーブドゥを賑やかに繰り広げ住民の無病息災と五穀豊穣を祈願します。 |
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| ■ マストゥリャー |
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上野野原部落に、毎年旧暦8月15日「十五夜の日」に行われる伝統行事で、1977(昭和52)年に国選択無形民俗文化財に指定されました。
午前中、婦人らは大嶽グスクの拝所で祈願。夕刻が近づいた頃から、集落4カ所のマスムトゥに男達が集まり酒を酌み交わします。
午後10時頃になると、鐘を持った高齢者を先頭にほどよく酔った男達が公民館に集合、到着した順に一度づつ勇壮な棒踊りを舞います。
男達は紫色のハチマキ、帯、白い服の衣装で2人踊り、3人踊り、5人踊りと変化しながら公民館の中庭を一周して次第に円形になり、男達の後を追うように白いハチマキに藍色や黒色のの着物姿の女性達が扇子、四ツ竹を手にして踊ります。
躍動感あふれる勇壮な男踊りと3人縦列に整然と並び静かに祈るような女踊り、
対照的な二つ踊りは、いつしか一つの円になります。 |
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| ■ 多良間の八月踊り |
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八月踊りは明治以前から、納税を済ませた喜びを分かち合うまつりとして島人に受け継がれ、1976(昭和51)年には国の重要無形民俗文化財に指定されました。
八月踊りは五穀豊穣に感謝し来年の豊作を祈願し、旧暦8月8日から行われる奉納踊りで、古い時代から「八月御願」と称され、民俗踊りのみが演じられていましたが、明治時代以降、沖縄本島から伝わった組踊りや古典踊りが加わったとされます。
初日が字仲筋、2日目が字塩川の踊りが披露され、各部落の子供や大人たちが色鮮やかな琉球の民俗衣装を身にまとい、舞いや組踊りが部落の神に奉納されます。
最終日には両字で再度奉納舞踊が繰り広げられます。
まつりの頃には、島外に移り住む島の出身者や民俗研究者、マスコミが大挙来島。島の人口は普段の倍以上に膨れ上がります。 |